唐糸御前

鎌倉幕府第五代執権北条時頼は、20歳の若さで執権の座につき、北条氏全盛時代を築きあげた。
又、30歳で出家して後も、37歳で没するまで厳然として幕府の最高指導者の地位を占め続けた。

南津軽郡藤崎町に、唐糸御前の墓と伝わる塚が現存する。この唐糸御前と呼ばれる女性は、
藤崎町の生まれで長じて北条時頼の妾になった。


ところが他の侍妾に妬まれて、いたたまれず、とうとう故郷の藤崎の地に落ちのびた。
後に時頼がこの地を訪れたのを知り、愛しさに胸を焦がすが、かつての容色が衰えた我が身を恥じて、柳が池に入水したと云う。



これにはまだ続きがあるのです。
唐糸御前が藤崎に帰るに警護のため盛秀という侍が付いてきたのです。

何年か後、出家した時頼が唐糸御前を尋ねてくる事を知るのですが、
かつての美貌が衰えた我が身を恥じた唐糸御前は時頼に会う前に入水してしまうのです。
この警護で来た盛秀は責任を果たせないことで鎌倉に帰らずこの地に住み着いたのです。

あの成美園の前に萱屋根の大きな家がありますが、清藤27代目が住んでいるようです。
そして後に成美園を造ったのでしょう。

    

ハロ〜!ポッチ〜
成美園
津軽なび